こちらの仕事のスタイルで最近は慣れてしまっているのですが、皆良く雑談をしに仕事の合間にカフェテリアにコーヒーを飲みに行く習慣があります。時間帯としては、朝出勤した時に目覚めのコーヒーがてら雑談。お昼も時間をたっぷりとって食後にコーヒーを飲みながら雑談。そして、いつでもではないかと思いますが、午後にカフェテリアでコーヒーを飲みながらの雑談などもする場合があります。
こうした雑談は単に息抜きの機会ということもありますが、それ以上に意思疎通を諮るための健全な討議の場である場合も多いのです。物理的な制限として、こちらのオフィスは個室ベースです。なので、調整や会議の場合には会議室で行うのが普通ですが、それと併せてカフェテリアでリラックスした雰囲気で行う場合があります。
これは特に西洋の文化だと思います。日本人はもとより中国、韓国はおろかインドなどのアジア圏の人種は不慣れです。日本だとこうしたカフェテリアでの雑談はともすると、仕事してんのか?という風にとられがちです。実際、日本では自分の机にきちんと座って仕事をしている振り?をするのだけでも仕事として認められる雰囲気がありますよね。あるいは、会議にきちんと遅れずに出席している事が仕事として認められる訳です。
しかし、こちらでは若干事情が違っているようです。自分の机にいることは対して重要ではありません。いなければいないで、それはいいとしてポイントポイントできちんと成果を出している事が評価の基準になっています。会議に毎回出席しても、発言しなければただの木偶人形であり、会議に遅れて来ても自分の言いたい事をキチンと言って、議論を呼ぶ方が重宝がられる訳です。
僕も、毎度コーヒーでも飲みに行こうと言われた場合には、なるべく一緒に行く様にしています。そしてなるべく議論に参加します。意外にも議論自体は毎回毎回難しい事を話している訳ではなく、単純な話を回りくどく話している場合も多いのです。なので、結論を性急に求めたがる日本人の習性からすると、核心のポイントを会話に投げ込んであげれば、それで会話がさらに花が咲く訳です。意外にも話の核論を避けているのか、それとも見えなくなっているのか、そういう議論が多いのです。議論の苦手な日本人でも話の基本と正当性さえ見失わなければ議論について行って太刀打ち出来る訳です。
逆に、雑談と議論は日本人は苦手です。合意形成に慣れている日本人は議論をすると良く泥沼にはまります。結論が見えなくなると責任の所在を追求するネガティブな指向性さえ持っています。こちらでのティップスですが、ジョークがうまく織り交ぜられる事です。これは効果的な事だと思います。これも西洋の文化だと思いますが、議論が煮詰まって来て出口が見えにくくなって来た時に、あるいは議論の空気が悪くなって来た時に、咄嗟に場の張りつめた雰囲気がふっと解きほぐされる経験を何度もしたことがあります。これも日本人には相当不可能な芸当です。しかも、こうしたジョークは英語であるから面白いのであって、日本語で言ってみてどれだけ通用するのかはわかりません。
まあ、それでもカフェテリアでコーヒーで雑談する人達が、単なるサボリなのか仕事の一環なのかは神のみぞ知る?
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