数週間前から国連ヨーロッパ本部の広場には写真のような高さが約10メートル近くもある壊れた巨大な椅子が置かれています。片方の足が途中でなくなっており、一見なんだか良くわからないオブジェですが、これは対人地雷の廃絶を訴えているのだそうです。4本ある椅子の内、1本が壊れてかろうじて3本の足で支えている物の、今にも倒れてしまいそうな危うさが伝わってくる事で、対人地雷が未だに多くの犠牲者を出している事への切なる訴えになっているのです。

昨日は帰り際に、国連本部前でイラクやパレスチナの占領に関する様な抗議でもが行われていました。日本にいると中々実感できない国際問題がここでは時に真剣な問題として感じられます。日本にいては絶対に感じる事の出来ない風景です。しかし、やはり正直に思ってしまうのは、僕にとっては対岸の火事です。血も涙もない、と言われそうですが、同情でどうにかなる世界ではないので、自分で出来る事をするしかないのです。
日本というレベルで考えると、イラク政策というのはまさに対岸の火事です。関係ないと言ってしまえるのです。なのに目的もなく自衛隊を派遣するのは国際貢献という名の下で、米国追従と世界第2位の経済大国としての盲目的な義務、それに国際的な好感度アップのため以外になにがあるのでしょうか?実際に、こうしたイスラム世界への接点も経験もない日本人が「生兵法は怪我のもと」の言葉通り、戦略もないまま税金を無駄遣いにしているのが良く実感出来るのです。
僕たち日本人が外交に対して戦略を持たなくてはならないのは自明の理ですが、しかし日本と言う立場で考えると外交政策というのは、実はあまり重要ではないのかもしれません(ちょっと大風呂敷気味ですが)。だって、元々鎖国で無理矢理貿易させられた過去があります。外国との交易で積極的に自国の利益を得ようとするそもそもの気概と意識が、もうかっている車などの分野以外はほとんどありません。
僕は、日本人は突き詰めると自滅する社会か、あるいはなあなあで生きて行くのが本質の文化なのかも、と考えています。特に、欧米に沿った戦略なども持たなくて良い。皆が仲良くやって行ければいい。無理に考えて戦略を考える必要もない。白黒つけることを押しとおした小泉政権の欠点は、二者択一の苦手な日本人に痛みを伴う改革で多くの精神異常者を生み出しているのです。
もし、日本が今後他国との真剣な駆け引きの元で自国の今後の利益も考慮した政策を持って行くとすれば、国民自身もそれに応じて意識改革を行って行かなければならないでしょう。しかし、それは今の日本社会で多く出ている精神異常者と同じく、多くの拒否反応を生み出すに違いないと思われます。





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