2007年9月19日水曜日

宿題

昨日は会社を休んだと言いましたが、それでも出張後の報告書の作成や、いくつか作らないといけない資料があったので自宅で宿題をやっていました。結果的に午前1時頃までかかってようやく出張の資料が完成し、今日他の資料を作る事が出来ました。資料はもちろん英語ですが、英語の言い回しもそうなのですが、やはり資料の作成には文章力が必要になってきます。

国連機関だと専門の英語作成部署や他の国連公用語による作成を行っている部署があるのですが、我が部署はまだそこまでの規模の部署ではないため、少なくとも自分達で源泉の文章を作成しなくてはなりません。最終的には、事務局長がチェックを入れるので、僕が作った文章がそのまま外に出て行く事は中々ないのですが、それでも自分の源泉が生かされる事を考えると、うれしい反面、この程度の英語力で大丈夫かなあ?といつも不安に思います。

まあ、日本人の英語力は基本的に低いのでオンザジョブトレーニングあるのみなのですが、そもそもの英語の組み立て方からして、その習慣が違うの事に毎度気づきます。やはり、教育の方式というのは大事であって、議論の組み立て方、理論の筋道の立て方が重要であるのです。その上で英語の表現力も構成されていくのではないかと思います。

議論好きな西欧文化では、話がどんどん深くなっていき会話に奥行きが感じられます。ここに日本語との目に見えない障壁があるような気もします。詳しくは文化学者や言語学者に聞いてみたい所です。

0 件のコメント: