2006年9月7日木曜日

日本クラブの散策参加

今日9月7日は「ジュネーブ断食祭」でジュネーブの祝日です。9月第一日曜日の次に来る木曜日で、由来はフランスからジュネーブに逃れて来たプロテスタント難民の受け入れを祝うジュネーブ州だけの祝日なのだそうです。この日僕は、日本ースイス協会とジュネーブ日本人クラブの合同企画による「サン・ピエール島への散策」に参加してきました。

ジュネーブにはかなり昔から商工会の働きかけによる様々な活動があるのですが、関連する団体がいくつかあるようです。「日本ースイス協会」や「ジュネーブ日本人クラブ」はそれらの代表的なものです。他にも、ジュネーブは東京の品川と友好協定を結んでいて、そのための親睦会などが再来週に開催されます。

さて、今回の「サン・ピエール島の散策」なのですが、直前に僕は飛び込みで参加しました。風邪を引いてから少し閉じこもりがちで気分的にちと危うくなっていたので、人と交流し話すことで復活せねばと思ったのが大きいです。サン・ピエール島はルソーが数ヶ月滞在して一番人生の中で良かった、という評価をした場所らしいです。以下、写真付きで紹介します。



バスツアーでした。ジュネーブから1時間半くらいハイウェイを通ってビエンヌ湖(Bieler See)に向かいました。日本ースイス協会との合同なので、スイス人も多く参加しました。但し、皆相当お年を召された方ばかりです。昔の戦争世代や貿易が盛んな時代に日本に深く縁のある方が多い様です。





ビエンヌ湖まで来るともうそこはドイツ語圏です。いきなり市民がドイツ語に変わっているのはわかっていても違和感があるものです。
ルソーが滞在した場所というのは、湖の真ん中に突き出した半島の先の方にある修道院なのだそうです。修道院(写真)までは半島を約5キロほど歩きます。
ビエンヌ湖とサン・ピエール島の世界地図上での場所は→こちら





到着した修道院は現在ではホテル兼レストランになっています。そこで、昼食をとりながら、この近くのヌシャーテル大学でルソーの研究をしているKさんからルソーについての簡単な講義を受けました。ルソーが実際に住んでいた場所でルソーを純粋に研究している方から教えてもらえるなんて、大変良い歴史の勉強になりますよね。ルソーというと「社会契約論」という名前しかわからないのですが、「自然に帰れ」という思想の元、また彼のかなりの自己中心的な性格から、当時はかなり過酷あるいは偏屈な人生を送ったようです。ジュネーブで生まれた後、フランスのリヨンとパリ、イギリスなどを転々としたそうです。その間に色々な人間関係に悩んでいたようです。
食事は地元の魚料理と肉料理に舌鼓をうちました。僕と一緒テーブルに座っていたスイス人の夫妻の一組は、僕の祖父と同じくらいの年代のようですが、朝鮮戦争で赤十字の医師として朝鮮や日本にも縁が深かったとのことで、いわゆるそうした「昔の縁」の人たちが多い訳です。貿易関係での縁の人も多くいるようで、全体として一部の上流階級の人たちと言えるのだそうです。





ルソーは哲学者、政治思想家としては広く知られているとは思いますが、その他に作家や植物学などにも啓蒙が深かった様です。良くマルチな才能としてはレオナルド・ダ・ビンチがあげられますが、ルソーなどは晩年は植物学に専念していた様で、マルチな人は他にも多かった様です。写真は修道院の中にあるルソーが滞在していた部屋です。写真下は植物学の勉強の軌跡のようです。



さて、修道院を後にしてからは湖の船に乗って湖の岸まで行きました。湖自体は水質もきれいで風光明媚な所です。でも、それ程特徴的な場所という訳でないので、なぜルソーが人生で一番良かった所との賜ったのか不明との事です。本当に偏屈な人だったのかもしれませんね。









次に近くのクレッシェ村という所のワイナリーに訪れました。小さな村の小さなワイナリーなので、大人数で行ったため倉は見せられないと言われてしまったようです。テイスティングだけしました。聞いた所によると、スイスは昔から白がおいしかったが、最近では赤が相当良くなって来ているそうです。但し、生産量はいずれにしても少ないのでスイス以外に出回る事があまりないとの事です。そう言う意味では貴重ですね。テイスティングのお味の方は、地元のKさんに言わせるとあまりおいしくはないとの事です。確かに、独特のくせがあり、なんというか決してまずくはないとは思うのですが、感動する程ではなかったかも。それでも勧められるがままに白、ロゼ、赤と飲み続けたら7、8杯位は飲んでいました。

その後はバスに揺られてジュネーブに戻りました。

今回は、幸運な事に何人か日本人の方と知り合いになる事が出来ました。ご飯を食べる友人や知り合いが出来そうです。それにしても、日本ースイス協会にしても、日本人クラブにしても、年齢層がかなり高いです。これは、何度も書いていますが昔からの関係の方々が主体になっているからの様です。当のこうした会の方々も問題意識はあるらしく、若い年齢層への期待や巻き込みをしていかなくてはならないと考えてはいるようです。まあ、所謂派閥に似た物があるのでしょうね。僕も、いる間だけでも何か活動に参加して少しでもスイスの事を良くわかってみたいものだとは思いますが、もう少しこうした行事に参加しつつ、こうした会を見極めて行きたいと思っています。

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