ここ最近の日本のニュースは異常な状態が続いていますね。ほぼ毎日学生の自殺予告が相次ぐ中で、文部科学省が寝ずの監視に対応しているなんて異常以外の何物でもないと思います。児童虐待のニュースも紙面を飾らない日はないと言っていい程、毎日日本のどこかで子供が親の犠牲になっているなんて考えていると涙が出て来ます。
日本人総モラル喪失、と言われる様に世代構わず、人の善し悪し構わずに犯罪が多発しています。一部の極論しか報道しないメディアの煽動もあるとは思いますが、それにしても日本人の心はどうなってしまったのでしょうか?
良く、日本とスイスは国民性として似ていると言われますが、最近では日本の方が変わってしまっていっている気がします。スイスは非常に保守的です。周囲のヨーロッパ諸国に比べてというのもあるのですが、昔から周囲を列強各国に接して来た環境から生き延びるためには、日本よりもむしろ絶えず知恵を絞っていないと、すぐに併合されてしまう危機感があったのだと思います。
第二次対戦中にスイスはナチの虐待を逃れるために大金の闇金を払ったと噂されています。善人の鏡であれば、なんと言う事を!と思うかもしれませんが、それでスイスの国民を救ったという意味で考えれば非常に国としてうまく立ち回った訳なのです。その他にも、資源のない、狭い、スイスという国は自国の存在意義と今でも至る所で保守的に展開しています。EUへの参加拒否などは最も典型的な例でしょう。その一番良い例としては、スイスの金融産業を守るために、EUによる通貨統合へはどうしても反対しなければならない訳です。
僕は最初にスイスに来た時に、なんて不便な所なんだろう、と強く思いました。スーパーは数が少ないし一握りの大手しかない、しかも早く閉まりコンビニなんてない、娯楽は少ないしバラエティがない、物価は高い、などなど。しかし、今ははっきり言って慣れました。それ以上に、日本の過剰なサービスに対して疑問を持つ様になっています。
日本は今馬車馬の様に改革の波に押し付き進められている現実にあり、皆精神状態が興奮してしまっているのでしょうか?日本人総ジャンキー状態と呼んでも良い様な程の強迫観念、被害者意識、乗り遅れ症候群、などに冒されていると思うのです。商売は次々と新たなアイデアを出さないと売れないと思ってしまう、公務員は変わらないといけないという思い込み、学校は今すぐに改革しないと全て子供達はだめになってしまうという思い込み、などなど。
日本は戦後最初からアメリカの庇護の元に発展してきました。その歴史は未だに続いており、アメリカがブッシュ政権になってから迷いの道が生じたのだと思います。アメリカと袂を分けられるかという判断を随所で突きつけられて政府と国民は迷い、おろおろし、その中でアミニズムなどの純日本人回帰への道が唱えられたりしているのが現状なのだと思います。
日本の外から思うに、ブレーキのない自動車に乗っている日本人(客として)は、代理の運転手であるアメリカやあるいはその幻像にから少し降りて休憩を取る必要があるのかもしれません。アメリカの庇護をすっぱり分つのは現実的に難しいでしょう。しかし、日本人が自ら焦らずに本質を考えて行動する様になれば、自ずとアメリカとの関係も変わってくるのではないでしょうか?
また、日本人というのは他の民族に比べて非常に感受性が強いと勝手に思っています。その感受性というのは、人と人のつながりにおいて特に強く出てくると思います。いじめや自殺などは人とのつながりから来る感受性の欠如の果てにあると思うのです。スイスに限らず欧米人は良く一人でいる時間が長いと思います。一人でいることに対して耐久性があると思われるのです。日本人は一人でいる事に慣れていない。人から切り離されるとかならず精神に異常を来すと思うのです。
好き勝手に書いていますが、日本人である僕たちは何を変わって行く必要があるのでしょうか?実は何も変わる必要がないのかもしれませんよ。
もちろん、自分自身において変えて行かないといけないと真に実感している事は、努力して変えて行かないといけませんけれどね。
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