僕は地学が好きです。地学って?と記憶のどこか片隅にあるような感じかもしれませんが、覚えていますでしょうか?高校生の時に理科の選択科目で物理、化学、生物の後で、たまに先生がいなかったり、人気がなくて切られる高校もある、あの地学です。。。
地学は文字通り地球の科学を勉強するのと同時に、宇宙の科学も多少触れます。地球の科学では地震の起こる地殻のプレートの運動の仕組みとか、地震の伝わる波には主にP波とS波の2種類あることの仕組みとか、お天気にまつわる大気の科学、長周期の気候変動の科学、海洋の運動、陸域の水文など、今でこそ全て大事な研究分野ですが、高校の選択科目ではなぜか人気がありません。(現在はどうかわかりませんが)
これには理由があって、理系科目の基礎は物理であり、物理の基礎は数学なのです。現段階において数学と物理が実世界の全ての基本の現象を説明するのに用いられる学問であり、化学・生物・地学は広い意味で応用分野に区分されます。
なので、勉強の順番としては必然数学と物理をまずやってから、という風になるのが基礎からの勉強方法です。数学は現代の教育ではどこかで少なからず手を染めなければなりませんが、物理をやらなくても化学・生物・地学は勉強出来ます。しかし、これらの分野も突っ込んで勉強していくうちに物理の必要性が分かってくるでしょう。
物理は自然現象を語る法則を数式で表現して、複雑な事象を解き明かすための解を提供してくれます。物理のベースは数学にあり、数学こそが理系の根底にあると考えます。
但し、勉強の順番として、数学や物理を最初に勉強することが良いかと言うと必ずしもそうではないと思われます。人間の興味や勉強意欲を考えるならば、物事を吸収しやすくするために応用分野から入って、実際の目に見えるケースを使って自分で解を見つけることが蓄積になると思われます。いわゆる例題という奴です。
よく、数学や物理を毛嫌いする人が、なんのためにやっているのかわからないとか、実生活で使えないから実感が湧かない、とかいう理由からドロップアウトするようですが、この内の半分は教育のやり方の改善で救えるのではないか?と思います。但し、半分は自身の興味の問題もあり、どの程度自然現象、あるいは世の中の不思議に対して純粋な興味を抱くことが出来るかに寄る部分もあります。
僕達の住んでいる世界には多くの疑問が潜んでいます。なんで空は青いのだろう、とか、夕焼けはなんで赤いのか、とか、どうして鉄は堅くて鉛は柔らかいのか、とか、葉っぱは緑で土は茶色いのか、とか、地球に空気があって宇宙にはないのか、とか、コロンブスの卵的なものから、言われてみるとわからん、というような疑問が多いですよね。
世界のなぞは、なぜ?を3回以上繰り返されると、そこからはわからなくなると思います。例えば、なぜ1「なぜ人は年を取るの?」「体の機能が衰えていくから」なぜ2「どうして体の機能が衰えるの?」「体の組織が弱ってくるから」なぜ3「どうして組織は弱るの?」「組織を構成する細胞が死んでいくから」、なぜ4「どうして細胞は死ぬの?」「・・・」という感じです。ある物事を突き詰めて質問していくと、そこには必ず物質と世界の根源に対するなぜに行き着きます。
しかし、こうしたなぜがあるからこそ、理系の研究と真理への探求は続くのであり、それが徐々に解明されていくたびに、新たな技術が生まれたり、人間の真理探究の要求が満たされるのです。そういう大きな目的があるからこそ、科学の勉強は必要なのであって、その教育方法もそれに見合うようにもって行かなければならないと思います。
なぜ?という事を思い、それを”自分で”地道に研究していく、という精神が理系には大事であって、いきなり基礎の数学と物理を叩き込む事はどこまで必要なのかは若干疑問であります。いきなり応用から入るのも若干リスクはありますが、法則や定理を学ぶ上においてエキサイティングな例題がないと吸収はしないでしょう。
地学に話を戻しますが、地学は化学や生物と同様にエキサイティングで夢のあるテーマが無数に存在します。特に、地球環境を学ぶ人や宇宙の仕組みを学ぶ人は地学を学ぶ事は必要だと思います。理系の世界では物理を学ぶ人が圧倒的に多いため、物理専攻出身者が応用分野を席捲する場合が多いのですが、僕は若干疑問に思います。
物理の法則だけを叩き込まれて、なぜ?自分で、の環境を叩き込まれていない人は理系には若干そりが合わないからです。
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