2008年8月29日金曜日

人間一生勉強か?

日本でも最近は社会人大学生がはやったりしていて、働いてからも勉強する人達が増えて来ているようですね。こちらにいると、暇という訳ではないのですが、自分の時間を有効に使える時間があります。仕事は仕事、プライベートはプライベートでしっかりと自分をコントロール出来る環境にあると言った方が正解でしょう。暇というと、大抵の日本人は怠けているという誤解を与えてしまいますので・・・

未だに違和感を感じてしまうのが、仕事を終えて退社する際に、いくら早く帰ろうとも誰も咎めません。堂々と皆、私的理由でさえしっかりと述べて退社します。「今日は、友人とパーティがあるから早く帰って準備しなくては行けないんだよ」「そうか、じゃあ楽しんで!明日また会おう!」って感じです。もちろん、本当に仕事で忙しい時には、残ってきちんと仕事する人はするし、しない場合でも成果が出ていれば全くお咎めを受けません。何度か書きましたが、こちらでは夜の8時になるとほとんど誰もいません。逆に残っていると、何かあったのか?という風に心配されてしまいます。

少し話が脱線しましたが、仕事を終えて帰って皆何をしているのでしょう?多くは多分リラックスしているのでしょう。多分、日本人が高度経済成長の際に24時間働いていた様な猛烈なパワーを10とすれば、こちらは常に5くらいのパワーで働いているような感じです。つまり、がつがつしていないのです。それで同じ社会が回っているのですから、不公平さえ最近は感じ得ます。いくら日本が和を望むと言っても高度経済成長は終わって今は下降の一途を辿っているのですから、普通に考えればそんなに力んで一人で仕事しても労多くしてなんとやら、命を縮めるだけ、ということになるのかもしれません。

最近は、僕は仕事から帰ると、平日は料理と運動と自分の勉強をするくせをつける様にしています。しかも、その勉強というのが恥ずかしいですが、高校の教科書をひっくり返して再勉強しているという有様です。多くの事を実際忘れており、勉強というのは常に基礎を基盤としている以上、基礎を繰り返して学ぶ事はこの年にして新鮮であり、かつ大変重要な事であると実感しています。高校の物理や数学の教科書は今にして大変価値があり、今になって逆に考えさせられる事が大変多いのです。

人間は忘れる動物でもあります。使わない学問はあっという間に忘れて行きます。自分の学びたい学問は毎日少しづつでもいいから継続して学ぶ、というまるで学生時代に言われた事を、そのまま実現している大人の自分がいる訳です。でも、こんな事が出来るのもここにいるからであると思います。そして、それが一人の人間を育てる事であるし、かつ社会を育てる事になるのかな?とも思います。

国全体が上向きな時には、みんなで一緒に一つの目標に向かってがむしゃらに進む事が国威発揚であるし、経済的にも発展すると思いますが、今出口の見えない日本では、一人一人が再勉強するべきではないか?と思います。皆、色々な情報は早いですが、大事な事を忘れてしまっている様な気もします。小学校の時に習った国語の本や社会の本などを手に取って懐かしむのは悪くない事かと思います。

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